9月2日

昨日3DSの容量がアップした話をしましたが、その裏で1つ事件が起きてました。
何かと言えばポケとるのセーブデータが破損したコトです。
破損したと言うか、させたと言う方が正確かもしれません。未必の故意と言うヤツです





かつてハンゲームで課金ゲーの恐ろしさに触れ、今後その手のゲームには手を出さないと誓ったその後に出会ったのがポケとるでした。
無課金でも一線で遊び続けられる内容、3DSのゲームなので課金ゲーとして一線を越えるコトは無いであろうと言う安心感、何よりキャラが大好きなポケモン、これこそが理想のソシャゲだと思っていました。



しかし現実に待っていたのは金銭面以外での地獄でした。
ライフの仕様から2時間半以上放置するとロスが発生すると言う異常な拘束力、
それに耐えてどんなに頑張ってポケモンを強くしてステージをクリアしても、それに合わせて難易度もインフレするため永久に楽にはなれない終わり無き極限状態、
そこには本来ゲームに求める喜びやカタルシスなど一切無く、あの手この手で心を追い込んでくる課金誘導が存在しているだけでした。
課金せず遊べたとしても、課金ゲーはどこまでも課金ゲーだと言うコトをポケとるは思い知らせてくれました。
ハンゲームの時点でここまで気付けていれば良かったんですけどね。


確かにこの2年半の間一切の出費無くゲームを遊び続けられたコトは事実ですし、サービスとしては破格だったと言えると思います。
しかしどんなにコスパが良くても、プレイしていて楽しくなければそこには何の価値もありません。
最後の最後にゼロを掛け算してしまえばそこに残るモノはやはりゼロなのです。



それでも2年半もの間このゲームを遊び続けていたのは惰性であり、これまでの苦労を無に帰したくないと言う意地汚さ故でした。
ポケモンが好きだからゲーム的には産廃の性能でも育てるコト自体は苦に感じなかったと言うのもあります。


しかしいざこうしてポケとるを失ってみると、驚くほど何の未練も悲しみも無く、やめると言う行為がこんなにも簡単なモノなのかと呆気に取られるほどでした。
ゲームに対する恨み憎しみに耐えてまで意地だけで続けてきたと言うのに、まったく間抜けな話です。
ポケとるを通じて得たモノはソシャゲに対する嫌悪感であり、それに手を出してはいけないと言う教訓くらいです。





と、ここまでボロカスに言ってきましたが、別にソシャゲの存在自体を否定してるワケではありません。
楽しくないのは論外としても、お金と時間に関しては人それぞれのキャパシティの問題なので単に自分には合ってなかったと言う話をしただけです。
これだけ言いながら未だにアーケードでプリパラを続けているのも、時間的、金銭的に自分が対応出来ているからこそですし。ギリギリではありますが
身の丈のに合ったソシャゲを見つければ自分だって誰だってちゃんと楽しめるのです。
そう言いながらも現在のソシャゲ界の提示してくるゲームバランスは確実に自分のキャパティを超過しているので、実質的にはソシャゲ全否定の構えですけどね。
買い切りで楽しくて何時までも遊べるゲームが無数に目の前に広がっているこの世界、あえてソシャゲに手を出す理由なんて1個も無いのですよ。